私の小学生時代
小学校に通い始めた頃、学校から帰ると、
「ただいまー」
「おかえり」って、内職しながら、いつも笑顔で迎えてくれた母。
「お母さん、今日ね、学校でね、・・・」
って、母の側で矢継ぎ早に話そうとする自分がいました。
母は、嬉しそうに私の話を聞いてくれました。
母は、聞き上手でした。
でも子供の頃の思い出は、いい事ばかりではありません。
父は身体があまり強い方ではなく、私が5才ぐらいの時に胃の手術をしました。
それ以来、よく会社を休むようになりました。
根が真面目な人なので、仕事している時は人並み以上に頑張るのです。
でも、無理をし過ぎるのか、周期的に1か月とか、2か月とか休んでしまいます。
そんな、状況だから家計は苦しく、母もパートに出たり、内職したりすることになります。
お金の事でよく両親が毎日のようにケンカをしていました。本当に生活が、やり繰りが大変だったのでしょう。
まして、子供たちもよく兄弟げんかをします。
家は密集しているし、窓もドアも昔のことだから開けっ放し状態です。
こども心にも、「隣のおっちゃんとこに、まる聞こえやろなー」って、恥ずかしく思った記憶があります。
だから、小学生の高学年になると、学校で飼っているウサギやアヒルや鳩などの飼育の世話をするようになりました。
本当は、早く家に帰りたくなかったんです。
でも、そんな中でも学校の学用品や給食代は遅れる事も無くいつもキチッと払ってくれました。
お小遣いって、もらえなかったし、贅沢はしなかったけど、ご飯はお腹いっぱい食べさせてもらっていました。
私の小学時代を通して、すごく嬉しかったことが4つありました。
1つは、月1回だけ、外食に連れて行ってくれたこと。家族みんなで、近くの洋食屋さんか、中華料理屋か寿司屋のどれかに行きました。
父と私と弟。母と姉が手をつないで、皆で話しながら歩いて行きました。
2つ目は、クリスマスの時、母から
「うちの家はキリスト教じゃないから、サンタクロースなんかこないよ」
と言われ、ケーキもプレゼントもありません。
その頃、私は、お店に並んでいるお菓子の入ったサンタのくつが、ものすごく欲しくて、いつも「あれをもらえる人はいいなー」って思っていました。
そんなガッカリなクリスマスに、父が、あの頃高かった台湾産のバナナを大きな一房で買ってきてくれたんです。
「欲しいだけ食べなさい」って言われて、すごく嬉しかった記憶があります。
3つ目は年一回ですが新しい服を買ってくれました。
姉と弟は新しい服を時々買ってもらえる時がありますが、私の場合はいつも姉のお下がりでした。
大晦日の日に家族みんなで買い物に行き子供服の店で「好きな服を買っていいよ」と年一回必ず新しい服を買ってくれました。確か小学生まででしたが。
4つ目は、家族のお誕生日は、🍰ケーキを買って家族でお祝いしました。年に家族の誕生日だけケーキが食べれました。
これだけ聞くと「家族仲イイやん」って、思うかもしれません。そう、父も母も誠実な人で家族思いでした。
でも、悲しいかな、「お金がない、家計が苦しい」ということは、それだけでいろんな歪みをうみだします。
小さな頃から私たちは「あれが欲しい、これが欲しい」と、お菓子やオモチャをねだった事はありませんでした。子供でも、ぜいたくを言ったらいけないんだと分かるんです。
生活がいっぱい、いっぱいになると、日々の生活が苦しくなります。身体も無理をするので疲れます。
生活のことを考えて、心配をし、精神的にも疲れます。自分が元気でないと、相手や回りに対しても優しく出来なくなります。
そんなことから、父も母もイライラする事が多くなりました。子供にも当たる事も増えてきます。小学生頃まではよくたたかれました。
そんなにアザができる程じゃありません。勿論、加減してですが、すぐに手が出る父でした。
そして、学期ごとに、通知表をもらって帰って来た日に、それまでの勉強の結果やきょうだい喧嘩など、悪かったことを並べられヤイト(お灸)をすえられました。
足首や首元に、ほんの小さいものですが、それがすごくイヤでした。友達でそんなことされている子なんて聞いたことがありませんでした。
どんだけ泣いて逃げようとしても抑えつけられて、すえられました。
ある時、父に聞いたことがあります。
「私たちって、ほかのお家の子と比べてそんなに悪い子なん?成績かって、普通か少し良いぐらいで悪くはない。
それに、兄弟げんかなんて、どこの子でもしてるやろ?何でうちらは、ヤイトすえられるの?
お手伝いだって、買物や洗いものなどしてるよ」
その時の父の返事は
「よその子と比べて、悪い子やない」
と、ハッキリ言ったんです。
だけどヤイトはすえられて、そんなことが小学生まで続きました。納得できませんでした。
私はどちらかと言うとお父さん子でした。
だけど、ヤイトする父とすぐに叩く父。
顔を見ては、小言をいうか、怒る父は嫌いでした。
でも、明るくて優しい時もあるから、
「お父さんのこと好き?」って聞かれたら、その頃は分からなくなっていました。
夫婦げんかもよくあって、それが嫌だったので小学生の時に、母に聞いたことがあります。
「何で、お母さんはお父さんと別れないの?お父さんからボロカスに言われてるのに、何で我慢してるの?」
「別れたくても別れられない。あんた達をお母さん1人では育てられないからね」
と母は言っていました。
ここまでだけだと、本当は、自分の子供時代のことを整理してみたかったのと、父と母に感謝していることを書きたかったのに
あれっ、なんか違うみたいになってる・・・
又、次回に続きます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。