パソコンと悪戦苦闘しながら毎日のあれこれ綴ります。

パソコン音痴主婦がブログ始めました。

私の中学生時代

こんにちは、くにっぽです。

 

前回の続きです。

 

 

小学生の頃、私は、母は幸せじゃないと思っていました。

 

 

 

朝は誰よりも早く起きて、ご飯の用意をして、あの頃は、今みたいな電化製品があるわけではありません。

 

 

 

お釜で炊いて、お風呂もマキに火をつけて沸かしていました。何をするにも今より時間のかかる仕事です。母の手が回らない時、姉と交代でよくお風呂だきをしました。

 

 

 

家族5人分の食事・洗濯・そうじ・パートや内職をしていました。それに母は、自転車にも乗れません。私たちが小さい頃はどこへ行くにも、子どもをおんぶして、手をつないで連れていきました。

 

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 自分の時間なんてこれっぽっちもありません。あの頃、家で母が、ゆっくりくつろいでいる姿を見たことがありません。

 

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 母は何一つとして、自分の為にお金を使うこともありませんでした。

 

 

 

 しかも、いつも父からボロカスに言われていました。子どもの前でも平気でした。今ならモラハラって言うのかも知れません。

 

 

 

 母も父に文句を言っていましたが、力関係の差は歴然でした。母は、我慢ばかりしていたように思いました。

 

 

私は子どものときから、「絶対に母みたいにならない。そんな結婚なら一生しない。家庭を持つなら、絶対に幸せになるんだ。」と、心の中で思っていました。

 

 

 

母は、父とケンカはしますが、子ども達に父の悪口を植えつけるような事はしませんでした。いつも父を立てていました。

 

 

 

私は母に「お母さんは、お父さんのどこが良くて結婚したん?」って聞いたことがありました。その時母は、「お父さんは、どのお年寄りにも、とても親切で優しかったから」って言っていました。

 

 

 

 夜ご飯は必ず家族そろって食べました。父は、仕事が終わると寄り道することなく真っすぐ帰ってきます。だから、父が帰ってきたら、晩御飯の始まりでした。

 

 

 

 父は、お酒を飲みますが酒乱ではありません。お酒は好きで強い方ですが、いつも決まった量、熱燗1本だけ、ビールなら1本しか飲みません。そして、ご飯もお茶碗1杯だけでした。

 

 

 

 だから、酔って暴れるとかはありません。そして、よく私に、「K子も飲むか?」と最初にくれたりしました。

 

 

 

今ではダメです(未成年者には、体に悪影響がありますので絶対に真似しないでください)が、私は、一口もらっていました。

 

 

 

母は、要領が悪い方です。それに、あまり冗談が通じません。てきぱきと行動のできる父からしたら、イライラすることが多かったのでしょう。

 

 

 だから、よく、母の欠点ばかりを指摘していました。

 

 

でも、父は厳しい人だったけど、子どもに教えることは間違ってないと思っていました。私はあの頃、「学校の先生と父の言うことは正しいんだ、絶対なんだ」と思っていました。

 

 

  • 挨拶をきちんとする。
  • ありがとう、ごめんなさいをいう。
  • 人との約束は守る。
  • 嘘をつかない。
  • 金銭の貸し借りはしない。
  • 行儀悪くしない。
  • 人に迷惑をかける行為をしない。
  • 箸の持ち方、鉛筆の持ち方
  • 家での役割分担(お手伝い)

 

などいろいろでした。

そうなんです。父は厳しかったけど、言ってる事はその通りだなと納得していました。

 

 

めったに病気のしない母がおたふく風邪で高い熱がでて寝込んだことが一回だけありました。

 

 

その時、私が数日だけ母の代わりに夜ご飯の用意をしたことがありました。父からお金をもらって買い出しからメニューから自分で考えて作りました。

 

 

あの頃、姉は反抗期だったので、私の方が頼みやすかったのでしょう。

 

 

 

でも、料理のセンスとか全然ない私が作るのですから大したものが食卓に並ぶわけでもありません。お金も限られたものでぜいたくできる金額ももらえていません。

 

 

 

何をしたのか、よく覚えていないのですが、よく母の料理に文句をつける父が文句も言わず、喜んで食べてくれたことだけは覚えています。

 

 

 

中学生ぐらいになると両親のことを冷静にみることができるようになります。

そして、思いました。父も母も選んだ相手が間違っていたんだ。

 

 

 

父には、母よりもっと気がつく、気遣いのできる冗談も上手く受け流してくれる人が良かったし、

 

 

 

母には、もっと細かいことにこだわらないおおらかな人が良かったんだと、心の中でつぶやいていました。

 

 

 

父は家族のことを、いつも一番に考えていました。子どもが病気をしたり、大けがをした時などはとても心配していました。そして、口に出さないけど、母のことも心配していました。

 

 

 

いつもは会社から寄り道もせず帰ってくる父ですが、忘年会や会社の行事の時は遅くなる時があります。そんなときは、前もって必ず知らせていました。そして、必ずお土産を持って買ってきてくれました。お寿司だったり、ピロシキだったり、お饅頭だったり。

 

 

 

高校生になると、学校の先生や父親は絶対的な存在だと思っていたのが変わりました。

 

 

 

「先生も父も、間違いもする人間やん。言ってることとやってることが違うこともいっぱいある。」

 

 

 

そう思った時から、私の反抗期が来たような気がしました。反抗は主に、父に対してでした。厳しかったから余計だったかもしれません。

 

 

 

母は、いつも弱い存在だからあまりきつく当たったことはないと思います。

 それに母にはいつも、父や子供たちのお弁当を朝早くから作ってくれていて感謝していました。

 

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 また、次回に続きます。

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。