パソコンと悪戦苦闘しながら毎日のあれこれ綴ります。

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夫の故郷が終の棲家になった

こんにちは、くにっぽです。

 

今日も我がブログに訪問いただきありがとうございます。

 

5月は母の日があったり、実母の命日があったりと母のことを偲ぶことが多々ありました。いつも笑顔の母の写真を見ているとその笑顔につられて、つい笑いそうになります。

 

「ほら、笑ってよ~」
と言って私が笑かして撮った写真。

 

とびっきりの笑顔でいる母。手には珍しく綿菓子を持って。

 

「いる?」って聞いたら「うん」って嬉しそうにうなづいたから買ったんだった。

 

そんなその時の光景が浮かんできそうになる。時々そんな写真に話しかけたりする。

 

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そう言えば香川に引っ越して母に心配かけたことがあった。

 

娘と私だけで引っ越して、夫が定年になるまで別居生活が2年ほどあった。

 

その時は、慣れない土地で、夫の親戚以外知り合いは誰もいない状態だった。

 

夫と私は年の差夫婦なので夫の親戚と言っても皆年配の方たちが多かった。
唯一、姪っ子たちが私と13~17歳違うぐらい。

 

マンションの管理組合の理事になり、PTAの役員になり、夫の母の介護補助があったり、娘のスポーツクラブの役員をしなくちゃいけなくなったり・・・

 

とにかく色々行事も多く慣れるのに必死だった。

 

始めの頃はそうでもなかったけれど1年が過ぎたころぐらいから義母の様子がどんどん弱ってきてトイレに一人で行けなくてオムツになり、食事とオムツの介助もするようになった。

 

娘を学校に送り出すとその足で病院に行き、義母の朝食の食事介助、終わったらそのまま学校に行きPTAの活動をする。

 

途中で抜けて、その足で病院に行き昼食の食事介助。時間は1時間ぐらいかかった。義母の洗濯物も大量に出てくる。私たちの洗濯が終わってから、汚物をのけてからの洗濯をした。ベットシーツやバスタオルやパジャマなど結構大物があるときは時間がかかった。

 

娘が帰ってくれば、今度は娘を連れてスポーツクラブへ送り、又迎えに行かなければいけなかった。あの頃は自分の時間がなかった。テレビは殆ど見なかった。だからその頃流行っていた歌やドラマを私は知らない。

 

ただ一番答えたのが人間関係だった。その頃大部屋にいた義母。朝、昼は私、朝、夜は弟と言われて通っていた。私は朝は交代にしてほしかったがそれを言ったことで気を悪くされたのかも知れない。

 

それと、義母はいつも私たちが行くが同じ部屋の他の人は滅多に家族が来ない。
他の人は元気でよく喋る。義母はおとなしい。そして義母が一番年配だと思う。

 

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義母は人の悪口は言わない。あまり喋らない。私の話を嬉しそうに笑顔で聞いてくれるぐらい。なのに皆は「夜中、義母が暴れるしうるさくて寝れなかった」とか言う。私は信じられなかった。

 

その頃から私に義弟の悪口を言い「息子さんがお母さんをよく怒ってたよ」とか義弟にも私のことを言っていたのだと思う。多分、義母に嫉妬していたのかもしれない。

 

でも、時間にゆとりもなく私も毎日の生活に一杯いっぱいだったから精神的に疲れてしまっていた。

 

そしてある時、義弟から暴言を吐かれた。その時から私の体調は狂ってしまった。

 

1.朝起きようとしたら、家中がグルグルすごい勢いで回って立ち上がれない。

2.水を手にかけているのに熱湯をかけているみたいに熱く感じる。

3.義弟の声を聞いた途端心臓がバクバクしたり、手が震えたりした。

4.寒気がしたり、冷や汗をかいたり、立ち眩みするようになった。

5.朝起きたとき、手が硬直してしばらく動かない。

6.気分が沈んでしまって、どこかへ行ってしまいたい気になる。

7.心と体の状態が不安定になり、自分でどうしていいかわからなくなる。

 

そんな時、一度だけ実家の母に電話をした。心配をかけるだけだからと思ったけれどその時私に相談できる人はいなかった。

 

友達はいても同じ立場にならないと理解してもらえないと思ったし、友達に言ったところで相手を困らせるだけ。

 

母の声を聞いただけで「お母さん、ごめんね。お母さんの声聞きたかっただけ」
と言って泣き出してしまった。

 

「心配かけてごめんね」私はそれまで吐き出すところがなかったから。

 

「あんまり無理せんようにね」って言ってくれた母。

 

高齢の母に心配かけたくなかったけど自分が壊れてしまいそうだったから、優しい母の声が聞きたかった。

 

「ありがとう、おかあさん」

 

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あの時、「ここから出て行こうかな」って夫に言った。

 

夫は私が「ここが嫌なら他の土地に一緒に行こう」と言った。私は一人で出ていくつもりで言ったのに、夫は家族でと考えてた。

 

義理の弟は悪い人なんかじゃない。

 

義母と一緒に住み私たちが香川に引っ越すまでずっと一人で義母を大事にしてきた人だから。根はやさしい。

 

あの頃二人とも疲れていたのと人の言うことを間に受けたのかも知れない。自分が疲れすぎて相手のことを思いやれなかったのかも知れない。

 

夫は弟に私のことについて手紙を書いてくれました。その内容は嬉しかったです。

 

そして義母が亡くなった日からずっと義弟との関係は元に戻っています。亡くなった義母にも実母にも心配かけたくないですから・・・

 

あの頃、気持ちの行き違いがあったのかも知れません。

 

私は夫も義弟も長生きしてほしいと思っています。ふたり兄弟が一人になると寂しいじゃないですか。同じ年代を生きてきて同じ苦労もしてきて、大好きな義母の子どもなのですから。

 

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香川に移り住んで
小・中・高等学校の役員での人間関係
娘のスポーツクラブでの母親たちと先生達との人間関係
夫の親族との人間関係
マンションや義母の病院での人間関係など

 

一度に新しい人達と自分のことではない大事な家族のことで付き合わないといけない状況があった。そして最初の2年間夫はいなかった。

 

夫の奥さん、娘のお母さん、義母のお嫁さん、そんな中で家族のために頑張らないとって思いすぎちゃったのかも。

 

でも一杯いっぱいで、沢山のお母さん達がいればそれだけでそりの合わない人達がいて、まとめるのが大変になったりしてそれも又悩んだことの一つだったかも。

 

いろいろあったなー、あの頃。

 

目が回るから、眼科に行ってみたり、耳鼻科に行ってみたり。

 

手が硬直するから整形外科に行ってみたり。

 

更年期かもと婦人科に行ってみたり、心療内科に行ってみたり。

 

義弟のことがうまくいくようになっても、今度は娘の学校関係やスポーツクラブの役員のことでまたいろいろあったりして。

 

娘が大学に行くようになってやっといろんな役から解放されて元気になってきたのかも知れません。

 

今、香川に来て19年が経ちここが好きな憩いの場所になっています。

今はようやくそんな思いも過去になり、激やせしない体型になってます(笑)

 

母のこと書こうとしてるうち、話が色々飛んでしまいました。
いつのまにか私の自分語りになってしまいました m(_ _)m

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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