役員ばかりに当たってしまう
こんばんは、くにっぽです。
今日は、ブログのカスタマイズを書こうと思っていたのですが、やはりまだ上手くいかなくて。又、のびのびですが次回にしたいと思います。
アラフィフランドのjunpekunさんの今日のブログを読んでいて似ていたこともあり、自分の時のことを思い出し書いてみたいと思いました。
役員は幼稚園から始まった
私には一人娘がおり、幼稚園は3年保育にしていました。それは、娘が活発で幼稚園の遊具で遊ぶのを楽しみにしていたことと、友達とつながるのも大切と思ったからでした。
一年目から先生の家庭訪問があり、「役員をお願いしたい」と言われました。子どもが一人のこともあり、お世話になっているのだから一度はしないといけないかなと、快く引き受けました。
幼稚園は行事も多く、運動会・夏祭り・歩く会・遠足(水族館)・お芋ほり・餅つき大会・お遊戯会・誕生会・発表会・作品展等、行事の多い幼稚園でした。
そのたびに役員は幼稚園に駆り出されます。小さい子供たちで手がかかる分、役員の手を借りて行事をする感じです。気がつけば、頻繁に幼稚園に行くことになっていました。
子どもが年長さんになった時、先生が家まで来られ「役員になってくれる人がいなくて困っている。どうか引き受けて欲しい。」と頼まれました。
最初はお断りしていたのですが、先生も承諾しないと帰らない覚悟で来られてたみたいで、仕方なく引き受けていました。
ただ、いいこともありました。日ごろ幼稚園でどのように過ごしているのか分からなかったのが、垣間見えたり、先生から細かく教えてもらえたり。そして、同じ役員のお母さんと親しくなれたりと。
小学生になってPTA役員の委員長とJr.スポーツクラブの会長に
小学生になってからは、入学式の後にある全員参加の保護者会でPTAの役員を決めるときに子ども一人につき一回は必ずしていただきますと言う話があり、それなら最初にしておこうとなかなか決まらない役員の選出に自分から手をあげました。
決まらないクラスはいつまでも帰れないのもありましたし。その後すべてのクラスの役員の方がそろって学年の委員長を決めるのですがここでじゃんけんをしました。そして、じゃんけんの弱い私は1年生から学年委員長をするという結果になったのです。
この学校はマンモス校で生徒が多く役員の方たちをまとめるのは結構大変なことでした。そして、一年生の時に行う学年祭みたいなものがあって、先生はノータッチに近い状態で、保護者の方中心で毎年行うそうです。
自分たちの小学校時代は何でも先生が中心になってされてて、保護者はお手伝いをしたものですが、学年祭に関しては、先生は殆どかかわってこられませんでした。どうしても、手が必要な時はお手伝いしますけどって言うスタンスでした。
なので、役員のお母さん方に連絡し、何をするかどう担当を割り振るか、休む方もおられるなか、日にちだけは先生の方から決められて本当にあの時はプレッシャーに押しつぶされそうでした。
何んとか、それも終わったところで2年生の半ばで香川県に引っ越しました。
でも、当初は夫は大阪で単身赴任、私と娘だけで先に引っ越して、2年後にようやく家族がそろいました。
以前、小学校のPTA役員になったとはいえ、転校したので結局いちから又することになりました。
幼稚園で2回、小学校で2回経験させていただきました。それと共にJr.スポーツクラブでも会長を引き受けることになりました。娘がお世話になっていると思えば断れなかったのです。
その頃は、働いていなかったとはいえ、義母の病院に朝・昼と毎日食事介助など色々お世話をしていたこともあり、自分の中では学校・病院・スポーツクラブといっぱいいっぱいでした。
中学校ではPTA役員とスポーツクラブの会長に
中学校に入学した時もPTAの役員を決めるときは、なかなか決まりません。やはり、いろんな意味で時間の束縛をされるし、それなりに皆さん忙しいのです。
なので自分から立候補しました。そしてその時に
「娘がスポーツクラブに通っていて来年以降、私はそこの会長をしなければいけません。そうなるとPTAの役員はできそうにありません。なので今回させていただきたいと思います。次回からはそういう理由で出来ませんのでよろしくお願いします。」
と前置きしておきました。これで次からは全員の方が聞いていたのですから1年だけで終わることが出来ました。勿論、中学の2~3年生ではスポーツクラブの方で副会長・会長と引き受けることになりましたが・・・
高校ではPTA副会長と運動クラブの会長を引き受けることに
高校になるとクラブの送り迎えや試合の応援など、それが県外になればなおさら大変になります。
また、高校のPTA副会長になった時はPTAの全国大会に県外まで参加したり、PTAで大学の見学ツアーの参加があったりと泊りで出かけないといけないことも増えました。
もともと、そういった人前に出るのが苦手なタイプだったことと、先生たちへの気遣いや、いろんなタイプの先生や保護者との間で悩んだこともあり、その頃体重が一気に9キロほども減ってしまいました。
高校3年生の時に今度はPTAの会長にと言うお話があったのですが、それだけは何としてもお断りさせていただきました。体重が大幅に減ったことで見た目にも分かり、体調も悪く、心療内科にも通い始めていました。
そして、娘が高校を卒業する頃になって、やっと運動クラブの会長も卒業させていただきました。やっと肩の荷が下りたのでしょうか?
それ以降、徐々に体調も戻ってきて元気になりました。
ただ、パニック障害をおこしたり、年齢的なものでしょうか、時々は病院に通うこともありますがまぁ、元気にやっております。
あの頃、私ってついてないなーって思ったこともあったけれど、今にして思えばいっぱい、いろんな経験をさせていただきました。
そして、そんなことで、沢山の方に出会え、教えてもらったことも多く行動力も養えました。娘がいなかったらこの経験は何一つできませんでした。
タイトルに役員ばかりに当たってしまうと書きましたが、役員の経験をさせてもらったことは無駄になってなかった、私には必要な経験だったのだとも思います。
経験してみるまでは分からず、役員の方達のご苦労を知らぬまま過ごしていたことでしょう。いつも、どんな時でも人は誰か縁の下の力持ちさん達に支えていただきながら生活していると考えるようにもなりました。
ただ、その頃は負担も大きかったので必死で目の前のことをこなしてたというのが正直なところですが(笑)
ここまで読んでいただきありがとうございました。